2010-07-17

7月1日のこと

※実家の愛犬・パピヨンのトトがお星様になったことについての、おねーのメモ的な記事になります。
 興味のない方はスルーしてください。





5月、元気なころのトト 



その日は所用のため有給休暇を取得し、出かける準備をしておりました。
朝6時を過ぎたころ母からのメール「トトの具合が急激に悪くなり始めました」受信。

こんな早朝にメールをしてくるなんてよっぽど悪いのだなと思い、用事を済ませて
午後になればお見舞いに行けるだろうと考えていたところ、母から、今度は電話。
「今、・・・たった今息引き取った。。。(涙)」

メールを受信してから10分経つか経たないかでした。

聞けば、前の晩から様子がおかしく、普段は「お休みー」とサークルに入るよう
促すと素直に入って寝るのに、そのときはいったんサークルに入るもすぐに
出せだせと騒いだそう。

サークルから出るとうろうろと歩き、苦しそうにしているので抱っこしてあげようとすると
それは嫌なようで、一晩母が寝ずに付き合っていたそうなのです。

こんなことは今までにないことなので、夜遅くても、夜中でも連絡をくれれば
駆けつけたのにと、母を責めてしまいましたが、さすがに昨日の今日(翌日)で
死んでしまうとは考えなかったようで、朝になって本当に苦しそうになって急いで
連絡をくれたとのこと。

この悲しい知らせを、おにーが出張で不在だったため、おねーは一人で
受け止めねばならず、本当につらい朝となりました。


トトは御年14歳。
足腰が多少弱ってきてはいるものの、まだまだ食欲旺盛だったので、食欲があるうちは
大丈夫だろうと思っていたのですが、GWを過ぎてから徐々に食欲が減ってきたと
聞いていたのです。
そして6月頭にほとんど食べなくなり、だるそうにしている事から病院で検査をして
もらったところ、腎臓が適正値の5倍もの数値となっており、獣医師さんからも
トトの年齢を考えると手術や点滴等よりも、とにかく食べるものを何でも食べさせ
てあげなさいと言われたのでした。

もう手遅れということだったんですね。

トトは以前尿道に結石ができて手術で取り除いたことがあり、それ以来おいしくない
療法食のフードを食べていたのですが、何でもあげてというのですから香りのいいもの、
ウェットのやわらかいもの、おやつなど、たくさん買って毎週のようにお見舞いに行きました。




トトの具合が悪いというそんなとき、おにーとおねーのおうちではマカロンに妹を迎える
話が進んでいたのでした。
なんだかマカロンの妹が来る日が近づくにつれ、トトの具合が悪くなっていっている
ような気がして、妹を迎える喜びとよくわからないもやもやとが入り混じっている、妙な
気持ちで日々を過ごしておりました。
入れ違いでトトが旅立ってしまうなんてありませんようにと考えるようにもなっていたのですが。。。

7月1日の所用というのは、そのマカロンの妹を羽田空港まで迎えに行く当日でした。

まさか、まさか、お迎えの当日にトトが逝ってしまうなんて。
こんなドラマのような出来事がわが身に降りかかるとは想像だにしていませんでした。
自分を責めたり、悔やんだりしましたが。。。

トトはきっと何らかのエネルギーを感じ取っていたのだと思います。
「僕、ちょっと疲れちゃったから、先にお空に行ってるね!」
そう言ってトトは旅立って行ったのではないかと思います。


いずれにしてもトトは14歳10ヶ月の生涯を閉じました。


トトとの最後の、本当に最後のお別れは翌2日となりました。
少し前に調べておいた火葬場にて、気が済むまでお別れをさせていただき
丁寧に焼いていただき、お骨になってちっちゃくなって自宅へ戻ってきました。



火葬場での点火からお骨を拾うまで2時間。
取り乱したりしないよう、気をしっかり持たなきゃとあれこれ考えておりましたが、
お骨になったトトを前にしたら、不思議と心が穏やかになって、トトはもうどこも痛くないし、
苦しくもないんだと思えて、かえって安心したのを覚えています。


私は5歳の頃初めて犬を飼いました。
子犬が産まれたりして多いときは9頭飼っていたときもありましたが、
実際に旅立った愛犬を見送るのはこれが初めて。

自分の性格からいってペットロスに陥りやすいと思っておりましたが、
きちんと、気が済むまで、納得するまでお別れをすることができると
 こんなにも心が平穏でいられるのだと、そしてその方がトトも喜んでくれていると
そう思えてなりません。

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長々とまとまりのない文章でした。